藤本茉奈美さん

2018-07-08

今回インタビューをしたのは、現在「ぱんだウインドオーケストラ」の団員として活躍されている藤本さん。

受験のことだけでなく、オーボエを始めたきっかけや、ぱんだウインドオーケストラのこと、さらに、オーボエに対する意外な思いなどのお話を伺いました。

音楽の道に進まれたきっかけなどを教えてください。

父が高校教師で吹奏楽部の顧問をしていたので、もともと音楽に興味はあったんです。なので、小学生の時からピアノは習っていて、オーボエ自体は中学1年生の時に吹奏楽部で始めました。

どうしてオーボエを選んだんですか?

父のオススメの楽器だったんです。ソロパートが多いことと、オーボエ自体の人数が少ないため、先輩が卒業したらソロが吹ける、という理由なのですが(笑)。本当は打楽器がやりたかったんですけど、流されやすい性格なので...

高校は東京芸術大学の附属高校に進学されたとのことですが、いつ頃から進学を考えましたか?

もともとピアノが好きだったので、音楽の道に進めたらいいなという憧れはありました。それに加えて、部活でオーボエを吹いてるうちに楽しくなってきたので、中学2年生くらいから地元の先生に習い始めました。最初は地元の音楽高校を検討していたのですが、先生に、せっかくなら芸高を受験してみたら?と勧められました。記念受験のような感覚だと思います。

芸高受験はどうでしたか?

聴音の試験の難易度が高いので、聴音の訓練は毎日していました。あとは楽典の勉強とか。どちらも始めたのは中学2年生からですね。コツコツ積み重ねていったので、特に困ったりなどはしなかったです。記念受験だと思っていたので、受験当日もあまり気負わず、大きな緊張もしていなかったように思います。もしも落ちたら、高校は普通科に進学して、また大学で芸大を受験しようかなと思っていました。

そして見事芸高に合格されましたが、芸高生活はどうでしたか?

吹奏楽しか知らずに入学してしまったので、高校に入ってから苦労しました。知らないことばかりで...楽しいこともあったのですが、ついていくのに必死でした。芸高に入ると芸大を受験するのが一般的な流れなので、本当にこのままこの流れに乗ってしまっていいのかなと思ったりもしました。

逆に、芸高に進学して良かったことはありますか?

大変でしたが、音楽について専門的に勉強できたことは、今となってはよかったと思っています。あとは、芸高時代の友人は今も音楽を続けている子が多いので、そういう古くからの友人がいるというのは心強いです。友人がコンクールで賞を取ったりすると嬉しいですね。大学の同級生でも同じことはありますが、芸高の友人はまた違った喜びがあります。一学年に40人しかいないので、結束力が強いのかもしれないですね。

その後、芸大を受験されたと思うのですが、芸高受験との違いはありましたか?

芸高が記念受験だったのに対して、芸大は、「みんなが受けて、みんなが受かる」という空気の中での受験だったので、芸高受験時よりはるかにプレッシャーを感じてつらかったです。芸大附属だからといって、外部生より受験が有利ということもありませんし。

そのプレッシャーは、どうやって乗り越えましたか?

結局、当時はいい方法を見出せてなかったです。今となっては、周りの目とか気にしなくていいよ、と思えますが。高校生だと気にしてしまいますよね。ただただ根性で乗り切った感じです。

ではきっと、相当練習されたんですね。

いや、実はそんなに...(笑)。やる気が出たらやって、飽きたらやめる、みたいな感じでした。それに加えて、センター試験の勉強とか、副科ピアノの練習とかをしていました。

芸大での生活はどうでしたか?

芸高に入った時とは違う刺激がありました。特に、私は吹奏楽が好きなのですが、芸高には吹奏楽部出身の人が少なかったんです。管楽器を専攻する人がそもそも少ないので。なので芸大に入って、吹奏楽が好きという人に出会えたことは嬉しかったです。オーボエをはじめ、管楽器を専攻する友達も一気に増えました。一緒に遊んだり、負けたくないと思ったり。

そんな皆さんと、「ぱんだウインドオーケストラ」を結成されたんですね。

はい。学部1年生の終わり頃に話が持ち上がりました。まさに私の大好きな吹奏楽で、私の学年の同級生で結成されています。最初は、自分たちが楽しみたいという思いでスタートしたこともあって、チケット代も500円という破格の金額でした。でも徐々に、自分達ではなく、お客様を楽しませる演奏会に変えていこうという思いに変わり、チケット代を値上げしました。

昨今のクラシック業界において、かなり成功した団体だと思うのですが、その理由は何かあるのでしょうか?

一番は、運が良かったのかなって。全て運がよくて、素晴らしい奏者が同級生であったことや、吹奏楽のニーズが高いことなどがあげられると思います。吹奏楽部って、トータルで日本で一番人数の多い部活動だと思うので、吹奏楽を経験している人口がそもそも多いんです。現時点でプロの吹奏楽団が少ないというのも大きいですね。でもぱんだを始めた当初はここまで大きくなるとは思わなかったです。

運やご縁というのは、本当に大事だなと思います。藤本さんはそういうことはありましたか?

わりと全部運命だと思っています。まず、芸高に入れたことは本当に運が良かったと思っています。それから、都響の先生にずっと習っているのですが、その先生が、私と同じく山口県のご出身で、芸高を受験する前に一度だけレッスンを受けることができたんです。その時のレッスンにすごく刺激を受けて、大学進学後に、また先生のホームレッスンに通うようになりました。その先生に教わったことは、私の基礎的な部分になっていると思うので、先生との出会いはやっぱり運命だったなと思います。ただ芸大に進学するだけではきっと先生には習っていなかったと思うので...これは同じ山口県出身のおかげなんです。

少し話は戻りますが、意外なきっかけで始められたオーボエについて、今はどう思っていますか?

ここまで続けてこれたので、選んでよかったなと思っています。オーボエでしかできない表現もありますし、オーボエの音も好きなので。ただ、私はいろんな楽器が好きなんです。なので他の楽器に憧れることもありますし、あとは歌が特に好きです。歌は最高ですよ。人の感情にダイレクトに訴えかけてくるなと思います。歌詞があるとかそういうことじゃなくて、音が...声かな、自身の体を使うので、人間の限界を感じるというか。オーボエは、音質や音域が声、歌と近いと思うので、そういう意味では感情を揺さぶる表現をしやすい楽器かなと思っています。

ただ、リード(注1)作りで本当に苦労します。自分でリードを作らないといけません。リード作りにかかる時間の方が練習時間よりも長いかも。面倒くさい楽器ですよ。そこが嫌です(笑)。リードはいつ死んでしまうかわからないので、ストックを作るためにも、毎日リードを作っています。苦行ですよ。しかもリードを作るのはとても難しいのに、作ったところでそれがいいリードとは限らないんです!個体差がすごいあって、天気にも左右されるし、すぐに裏切ってきます。それから管楽器って、演奏する際の息の暖かさと、外気の冷たさによる温度差で水滴がついて、それがトーンホールという穴から出てくると、音が変になってしまうんです。オーボエは他の楽器に比べると管が細いため、その現象が頻繁に発生します。大変な楽器です。

研究するのが好きな人には向いているかもしれませんね。リードの材料とか、削る厚さとか、こだわる人はすごくこだわるので。私としては、いつも同じ音が出てくれればいいのに、と思いますが(笑)。でも逆に、いいリードが作れると何でも吹ける気がします。1年に1本か2本くらい、本当にいいリードが作れる時があるんです。他人が聞いてる分には大差ないらしいんですけど。奏者が気にしすぎなんですかね(笑)。

本当にリード作りは大変そうです。他の人、たとえばリード作りのプロのような方にお任せすることはできないのですか?

そういう業者もありますが、チューブの材料にもいろいろなメーカーがありますし、リードの形にする時の型番も100種類くらいあったり、削り方によっても音が変わってくるので、自分の吹き方にあったリードを毎日作るためには、自分で作るのがいいのかなと思います。自分のその日の調子に合わせることもできますし。もちろん、市販のリードもあるので、自分でリードを作らなくてもオーボエを吹くことはできますよ!

最後に、何か楽器を始めてみたい人や、音大受験を検討している方々へ、メッセージをお願いします。

私の知り合いで、楽器を始めてみたいけど、音痴だから勇気が出なくて...と言っていた方がいました。でも音楽って、楽しければいいんじゃないかなと思っています。自分が演奏していて楽しければ、下手とか気にすることは全くないんじゃないかなと。先ほど散々オーボエの悪口を言ってしまいましたが(笑)、演奏していると、やっぱり楽しくてたまらない瞬間がたくさんあるんです。だからこそ私も続けれられています。うまくできないんじゃないか、という気持ちが楽器を始められない理由なのであれば、それは全然気にしないでいいと思います。

音大受験に関しては、これは個人的な意見ですが、迷っているのであれば、音大に行ってみて、そこで考えればいいんじゃないかなと思います。音楽をやってみて、本当に自分に合っているかどうかを考えて、たとえば4年間本気でやってみて、結果が出なければその後に就職する、でも全然いいと思います。

もし、吹奏楽部をきっかけに音大に行きたくなったのであれば、プロの先生に相談するのが一番いいです。東京だったら、楽器屋さんでクリニックなどをプロの方が行っていたりするので、そこへ行ってみたり。地方でもやっているところはあるんじゃないかな。あとは、顧問の先生に相談したり、今はSNSも発達しているので、TwitterやFacebookなどでプロの方にダイレクトメッセージを送ってみたりすることもできますね。音大で4年間学んだことは絶対に無駄にならないと思うので、迷っているなら、進学したほうがいいと思います。

注釈
注1「リード」
木管楽器の発音体。消耗品であり、オーボエやファゴットの奏者は自作することが多い。
*カリキュラムや入試に関する内容は、当時の内容となっております。具体的な試験内容など、公式の受験要項を必ずご確認いただきますよう、お願いいたします。
藤本 茉奈美(ふじもと まなみ)

山口県出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学を卒業後、同大学院修士課程修了。柴滋、広田智之、小畑善昭、和久井仁の各氏に師事。D.ヨナス、H.シェレンベルガー、T.インデアミューレ、M.ブルグ、P.メルヴェ、K.ラプシュ各氏のマスタークラスで学ぶ。2015年夏、ドイツでシェレンベルガー氏、ブルグ氏に学び、当地の演奏会に出演。2015年「芸術・文化若い芽を育てる会」牛尾シズエ賞受賞。2016年、広島交響楽団と協奏曲で共演。第18回さくらぴあ新人コンクール廿日市市教育長賞受賞。第29回宝塚ベガ音楽コンクール木管部門入選。第3回K木管コンクール第2位。防府音楽祭にアーティストとして参加。ぱんだウインドオーケストラ団員として、テレビ朝日「題名のない音楽会」、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」などにも出演している。

ぱんだウインドオーケストラ

吹奏楽へのアツイ思いを原動力に2011年、東京・上野の東京藝術大学入学生を中心に結成。楽団名は時を同じくして上野にやってきた二頭の“パンダ”に由来。結成当時、東京藝術大学の学生だった中心メンバーは、2015年の大学卒業後も続々と国内外のコンクールで入賞を果たしているほか、プロの演奏家として各方面で活躍中。まさに次世代を担う管打楽器プレイヤーがそろう新進気鋭の吹奏楽団である。
黛敏郎(長生淳編)《オール・デウーヴル》の初演をはじめ、ぱんだウインドオーケストラのためのオリジナル作品・前久保諒《PANDASTIC!!》の委嘱など、吹奏楽ならではの魅力あふれる作品にこだわった独特のプログラミングで公演を重ね、好評を博している。
テレビ朝日「題名のない音楽会」やNHK-Eテレ「ららら♪クラシック」のほか、テレビ・雑誌・新聞などメディアの出演も多数。これまでに山下一史や山田和樹、ジョナサン・ヘイワードなどの指揮者との共演を重ねている。これまでに「PANDASTIC!! Live2016」(日本コロムビア)など6枚のCDをリリース。最新CDは2017年2月発売「オーチャードブラス!」(ブレーン)。
平均年齢は24歳。大編成の活動だけにとどまらず、4~5人程の室内楽編成“こぱんだウインズ”や16人の小編成“こぱんだウインドアンサンブル”としての活動も頻繁に行うなど、新時代の吹奏楽団として幅広い活動を続け、吹奏楽界に新しい風を巻き起こしている。
ぱんだウインドオーケストラ公式ホームページ プロフィールページより)

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