
桑田佳奈さん
2018-10-12
今回は、東京と関西を中心に、クラシックやポップス、ミュージカル、宝塚など、幅広いジャンルで活躍されているヴァイオリニストの桑田さんに、これまでの経歴や、ニューヨークでのお話などを伺いました。
ヴァイオリンをはじめられたきっかけなどを教えてください。
3歳の時に、辻久子先生の弦楽塾がマンションのすぐ近くに出来るということを両親が知り、見学に行ったのがヴァイオリンを始めたきっかけだそうです。3歳の時のことなので正直始めた時の記憶がなくて...気が付いたらヴァイオリンを弾いていました。
小学校高学年になると、当時京都芸術大学の大学院生だった下見の先生(注1)にも見ていただくことになり、その先生に若林 暢(わかばやし のぶ)先生という素晴らしい先生を紹介して頂きました。
中学に上がる春休みに初めて暢先生の合宿に参加したのですが、その合宿ですごく怒られたんです。「あなた本当に音楽家になりたいの?」と。それまで「いい子いい子、上手上手!」と育てられてきた私にとって初めての経験でした。先生のもとでは、ただ楽譜通りに音を出すのではなく、このフレーズを自分はどう弾きたいのか、そのためには身体のどこを使って何を考えながら弾けば良いのかを教わりました。それまで演奏技術を中心に教わってきた私にはとても衝撃的で、暢先生のレッスンをもっと受けたいと思いました。先生は東京にお住まいだったのですが、月に2回、京都に教えに来てくださっていたので、中学の3年間は京都にレッスンに通っていました。
高校は、東京芸術大学の附属高校に進学されていますね。
中学に上がるまでは音楽の道に進むつもりはなかったので、ヴァイオリンを習いながら学習塾などにも通っていたのですが、暢先生のもとで勉強されている先輩方が、芸高、芸大、と進学されていく背中を見ているうちに、私も芸高を受けるのかな、と自然と思うようになりました。そのため中学2年生の冬に、もともと通っていた私立の中学校から地元の公立中学校に転校しました。私学が進学校だったため、勉強ではなく音楽に専念するためです。この受験をきっかけに、音楽の道を意識し始めたと思います。
芸高受験はどうでしたか?
精神的に大変で、手が痺れたりもしました。一次試験の音階の課題の中に、指を広げ続けながら弾く重音があるのですが、人よりも少し手が小さいのもあって、苦手意識の中ずっと練習していました。弾いている時以外にも親指の付け根がずっと痺れるので何度か病院に行ったんですが、全然治らなくて…でも受験が終わるとすぐに痺れはなくなりました。おそらくストレスだったんだと思います。
二次試験では、試験の直前に、初めてお会いするピアニストの先生と合わせをしてから本番に臨むのですが、その合わせの時に、弓のネジが壊れて弓の毛が張れなくなるというトラブルが起きたんです。担当のピアニストの先生に相談したら迅速に対応して下さって、瞬く間に澤先生(現:東京芸術大学学長)のセカンドボウ(注2)を持って来て下さいました。先生の弓は自分の弓よりも重く、慣れるのに少し時間がかかりましたが、逆に吹っ切れることができ、どうにでもなれ!と本番は思い切り弾けたんです。これが良かったみたいで、先生方も将来性を見て下さり、ギリギリで合格することができました。あのトラブルが無かったら緊張してうまく弾けなかったかもしれないと思うと、人生何があるか分からないなぁと思います。
芸高生活はどうでしたか?
1学年1クラス40人で、その中にヴァイオリン専攻は10人いました。レベルの高い人達に囲まれて、揉みに揉まれた3年間。外に音が漏れるのが怖くて、一重扉の練習室では弾けなくなるくらい、完全に自信を喪失してしまいました。人にどう思われるかが怖くて。そこから脱皮するのは大変でした。
では、その後の芸大受験は大変だったのでは?
コンクールなどではなかなか結果を出せなかったのですが、何故か受験の時だけは力が出せたんです。先生にも「不思議な力を持ってる」と言われました(笑)。
でも実は、芸大を受験する時に、一瞬だけ指揮科を受けようとしていた時期があるんです。
え!どうしてですか?
高校2年生の時に「のだめカンタービレ(注3)」が流行っていたのですが、お正月の帰省でたまたまスペシャルドラマを見た時に、千秋先輩かっこいい!指揮者ってかっこいい!私もしてみたい!と思ったんです。それからオーケストラのスコアを勉強するようになり、高校3年生の時には、文化祭で初めて指揮をしました。モーツァルトの10分くらいのシンフォニーだったのですが、本当に素晴らしい経験でした。そんなことがあったので、一時期「指揮科を受けたい!」と言っていたのですが、先生方に、今からなんて絶対間に合わないから、と止められて(笑)、結局ヴァイオリン科を受験しました。
芸大に入ってみてどうでしたか?
芸高での3年間は必死すぎて楽しむどころではなかったのですが、大学に入ってやっと、ヴァイオリンを弾くことが楽しいと思えるようになりました。大学から入ってきた人たちと出会って、視野が広がったからだと思います。
また、私の学年は珍しく指揮科の学生がいなかったので、大学1、2年生の時に、文化祭でオケを振らせて頂き、大学3年生の時には、学生オケのインスペクターとして授業に関する事務的なことを少し手伝わせて頂きました。その時に指揮科の先生が見てくださっていたのと、学部の4年間お世話になった澤先生が当時指揮科と弦楽科を兼任されていたこともあり、卒業する時に、指揮科の助手というポストに誘って下さったんです。
助手の主な仕事は、オケの楽譜の手配、演奏会の受付や舞台裏の手伝い、副科指揮法の授業のサポートなどです。今まで知らなかった裏方の仕事を知り、一つの演奏会を無事に終えるには、どれだけの人のご尽力あってのことかという事を目の当たりにしました。
3年の任期が終わってからは演奏活動を中心としており、今年の3月にソリストとしてオーケストラと共演させて頂く機会があったのですが、今までの指揮、オケの一員としての演奏、裏方での経験、全てを活かすことが出来ました。この全てを経験したことがある人は他になかなかいないだろうと自分では思っていて、今後強みにしていけたらと思っています。
現在はクラシック以外に、ミュージカルやポップスでも活動されていますが、これはどうしてですか?
大学4年生の時に、声楽科が中心となって、芸大の文化祭でミュージカル「シカゴ」を上演したんです。その時にオーケストラのコンミス(注4)を務めさせていただいたのですが、これが私にとって大きな転機となりました。
ミュージカルってこんなに楽しいんだ!将来ミュージカルのオケで演奏したい!と思うようになり、実は一昨年の夏に約1ヶ月、ミュージカルの本場であるニューヨークに行って来たんです。
ニューヨーク滞在のお話を詳しく教えてください。
数年前にニューヨークで演奏する機会をいただき、3泊5日滞在したことがあるんです。感じたことのない空気、街の雰囲気、初めて観たブロードウェイミュージカル、全てがあまりにも刺激的だったので、また絶対に来る!と心に誓いました。受験を意識して準備した時期もあったのですが、金銭的にも語学力的にもこれは何年かかるかなという感じで…クラシックやジャズではなくミュージカルを勉強したいという思いが強かったので、色々考え抜いた末、1ヶ月間観光ビザで行くことにしました。貯金のために東京の家を引き払って大阪の実家に帰り、往復の飛行機だけはすぐに押さえたのですが、それ以外のことはその時点では何も決まっていませんでした。
行動派ですね!
はい。もうとにかく行っちゃえ!という感じで。幸い、ニューヨークへ行くことを周りの方々に伝えていたおかげで、ニューヨーク在住の日本人向けの掲示板の存在を教えてもらったり、その他にも色々な情報を得ることができました。最初はホテルに泊まろうとしていたのですが、とんでもなく高いので、掲示板でルームシェアの募集を探しました。短期でも可能で、相手は日本人女性、1ヶ月で約10万円という破格の募集があったので、そこに決めました。物価の高いニューヨークだと、ホテルに1カ月泊まろうとしたら20〜30万円以上が普通なんです。滞在した部屋は窓なしクーラーなしという条件でしたが、この安さなのでこれくらいは我慢しなきゃと扇風機で乗り切りました。
それから出国の数ヶ月前に、高校からのホルンの友人が、東京交響楽団のアメリカ人の主席ホルン奏者の方を紹介してくれたんです。
その方はジュリアードを卒業後に日本にいらしたのですが、もう移住して20年は経つそうで、日本語も英語もペラペラだから、きっと力になってくれると思う、と食事の場を設けてくれました。
お話を聞いてもらっていたら、ジュリアードの同級生が今ブロードウェイで弾いてるヴァイオリニストだから、今すぐ連絡してあげるよ!という流れになって...「レッスンを受けたいという日本人の子がいるんだよ!」「OK!」みたいな感じで(笑)。こうして、ニューヨークでレッスンを受けられることになりました。
すごいご縁ですね!
本当に。ニューヨークでもすごいことの連続でした。レッスンをしていただけることになったエミリー先生のレッスンでは、バッハの無伴奏曲も少し見ていただきましたが、先生の家にはミュージカルのヴァイオリン譜が山の様にあったので、「初見は得意です!」と猛アピールをして、いろいろな曲の弾き方を教えて頂きました。
それから、エミリー先生が日本人のヴァイオリニストの方を紹介してくだいました。その方はちょうど、期間限定で上演していた「ミス・サイゴン」で演奏されていたんです。ちなみにエミリー先生はその時期、新作「アナスタシア」でコンミスを、さらに旦那さんは「ウィキッド」でホルンを吹いている、という凄まじいご夫婦で、なんと3作品すべてのオーケストラピットで見学をさせてもらえました!本当に素晴らしい経験をさせていただきました。特に、最初にオケピに入らせてもらったアナスタシアでは、ずっと全身に鳥肌が立っていました。エミリー先生がアナスタシアでコンミスをされていることは事前に聞いていたので、CDを何度も聴いて、楽譜も借りて、全部頭に入れていきました。あわよくば1回くらい弾かせてもらえないかなと淡い期待をしていったのですが、さすがにそれはダメでしたね(笑)。
そんな経験をしたら、ますますニューヨークで演奏したくなりますね。
いつかニューヨークで演奏したいと思っていたのですが、厳しい現実も教えてもらいました。ニューヨークでは水面下でまだ人種差別が残っていて、永住権が無いと演奏できない演目もあるんです。でもビザの申請はとても難しい。通常は学生ビザで留学、そこからアーティストビザを取得するために弁護士に60万円程払って書類を作ってもらい、その後さらに、永住権、グリーンカードを申請するために弁護士に100万円程払って...少なくとも10年くらいかかるそうです。留学するだけでも大変なのに、ビザが確実に取れる保証も無いうえ、お金と覚悟が必要と説明されました。とにかく金銭面でまず無理だと思い、日本で私に出来ることを精一杯やろうと心に決め、帰国しました。
そして帰国後すぐに東京で部屋を契約し、昨年夏に再び東京に出て来ました。
先ほども言いましたが、やっぱり行動派ですね!
「こうしたい!」と思ったら、後先考えずにいつも動いてしまっています。
あと、やりたいことを周りの人に話す事がものすごく大切なことだなと思いました。皆さんアドバイスを下さったり、誰かを紹介して下さったりと、自然と自分の夢に向かって環境が変化していきます。
ミュージカルで演奏したいとずっと言っていたら、宝塚のオケに何度か乗らせて頂き、今年の5,6月には念願の帝国劇場でのミュージカル「モーツァルト!」で演奏することが出来ました。
その経緯について、詳しく教えてください。
これも本当に偶然なのですが...
小学校の低学年の時に、同じマンションに住んでいらっしゃったヴァイオリンの先生に見てもらっていた時期があるんです。数年レッスンを受けていたのですが、先生がお引っ越しされるのを機にしばらくお会いしていませんでした。
大学生の頃に久しぶりにお会いして、発表会で弾かせて頂いたりレッスンして頂いたりしていたのですが、その際に、将来はミュージカルで演奏していきたいことなども伝えていました。ある日、先生が地元でコンサートをされるということで、たまたまその日は関西にいたこともあり、コンサートを聴きに行ったんです。ヴァイオリン3人でのコンサートだったのですが、先生と共演されてた方が、ミュージカルのオケでよく演奏されている方と、その旦那さんだったんです。
終演後に楽屋に伺ってお話をさせていただくと、宝塚「るろうに剣心」のオケであと一人ヴァイオリンを探しているというまさかのタイミングで!その後ご自宅にお伺いして、演奏を聴いていただき、正式にオーケストラに乗らせていただく事が決まりました。
それを機に、いろいろとお話をいただけるようになり、今年は初めての帝国劇場で「モーツァルト!」で弾かせて頂いたんです。
ご縁は繋がるなぁというのと、ミュージカルで演奏していきたいという意思を周りにしっかり伝えていたのが良かったんだなぁと身を持って実感しました。
最後に、桑田さんの今後の目標を教えてください。
もっとミュージカルでの演奏経験を積んで、自分のストリングスチームを持ちたいと思っています。何十年後になるかはわかりませんが。
あとは、いつか日本で作ったミュージカルを世界に発信していくプロジェクトに携わって、ブロードウェイで上演出来たらな〜なんてうっすら思っています。
夢はどれだけ大きくても、自分が叶えたいと思えば絶対に叶うと信じています。自分を信じること、自分を信じられる様に十分な努力すること。これからも私にしかできないことを見つけてどんどん挑戦して行きたいと思っています。
注釈
注1「下見の先生」
メインの先生のレッスンと並行して、基礎的なことを教えていただく先生のこと
注2「セカンドボウ」
予備の弓
注3「のだめカンタービレ」
クラシック音楽をテーマとした日本の漫画「のだめカンタービレ」を原作とする、日本の人気テレビドラマ。
注4「コンミス」
コンサートミストレスの略。第1ヴァイオリンのトップ奏者であり、オーケストラの演奏をとりまとめる役割を担う。
~桑田 佳奈(くわた かな)~
大阪市出身。3歳よりヴァイオリンを始める。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部を卒業。卒業後3年間、東京藝術大学音楽学部指揮科教育研究助手を務めた。
第10回京都子供のための音楽コンクール銀賞。第5回熊楠の里音楽コンクール3位入賞。第9回日本演奏家コンクール奨励賞受賞。第8回大阪国際コンクール入選。第4回ブルクハルト国際音楽コンクール審査員特別賞受賞。
ニューヨークシンフォニーアンサンブル大阪公演(いずみホール)に出演。
パリ、ユネスコ本部にて「東京藝術大学附属高校平和祈念コンサート」に出演。
Bunkamura25周年記念舞台「ジュリエット通り」にてヴァイオリンの演技指導、劇中演奏を担当。
NYカーネギーホールにて日米文化交流コンサートに出演。
昨年10月愛知県豊田市にてセンチュリー室内管弦楽団定期演奏会を指揮。
今年3月には、オラディアフィルハーモニーとルーマニアにて、ソリストとしてメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を共演。
現在は関西と東京を中心にクラシックやポップス、ミュージカル、宝塚など幅広いジャンルで活動している。
これまでにヴァイオリンを青砥華、辻久子、故若林暢、澤和樹、山崎貴子、小川有紀子の各氏に師事。
室内楽を玉井菜採、野口千代光、松原勝也、安藤裕子、河野文昭、花崎薫、東誠三の各氏に師事。