中谷彩花さん

2018-11-26

今回はピアニストの中谷彩花さんにインタビューをして参りました!

中谷さんは広島県のご出身で、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を卒業し、単身ロシアに渡り、ロシアグネーシン音楽アカデミーへ入学、現在も研究科に在学されています。 国内外のコンクールで優秀な成績をおさめ、ロシア国内のオーケストラとの共演もなさっている中谷さん。昨日、代官山ヒルサイドテラスでのコンサートを終えたばかりの中谷さんに、受験体験やロシアでの学び、更には普段の練習や今後についても伺いました。

中谷さんがピアノを始めたのはいつですか?

5歳です。

兄がピアノをやっていて、私もどうしてもやりたくて母にお願いして習い始めました。小さい頃から兄のレッスンについて行っては、当の兄よりも楽しんでいました。

普通の音楽教室ですか?

兄はヤマハのジュニア専門コースでした。私は3歳の頃から2年間、ヤマハの歌や踊りを楽しむような教室に行ってました。

私が初めてついたピアノの先生はすごく優しくて、弾けるようになるたびにシールを貰えて…それを貰うために頑張っていました(笑)

小さい時に、親に練習しなさいって言われた記憶はないですね。音楽って楽しいなって、自分がやりたくてやっていました。

広島がご出身の中谷さんですが、東京の先生に師事したのはいつですか?

小学1年生の時です。小学校を卒業するまでは金子勝子先生に師事していました。

金子先生!すごい先生にいきなり…。どのような経緯で師事することになったのですか?

広島の先生からの紹介でとある先生の体験レッスンを受けたのですが、お家から遠かったため金子先生を紹介していただきました。

金子先生もすごく優しくて、楽しく教えてくださる先生でしたね。先生との思い出は数えきれないほどたくさんあります。

幼少期はどのように練習していましたか?また、どんな曲を弾きましたか?

好きで楽しんで弾いて練習していましたが…毎日外で友達と遊んでいましたし、他の習い事もしていたので練習時間は1日2~3時間でした。

バッハのインベンション・シンフォニアは全部やりました。

先生がロマン派のものがお得意で、ショパンの曲などもやりました。昨日アンコールで弾かせて頂いたノクターン嬰ハ短調は、小学3年生の時に初めて弾いたショパンの曲です。この曲はどうしても弾きたい!と先生にお願いして(笑)。

思い出のある曲なのですね。曲といえば、昨日の演奏会のプログラムはどのように選ばれたのですか?

やっぱり自分が弾きたい曲は必ず入れるのですが、お客様に楽しんでいただきたいので、昨日だとドビュッシーの月の光とかラフマニノフの鐘とか…お客様が聴いたことのあるような曲も必ず入れるようにしています。あまりクラシックを聴かれない方も喜んで下さいます。有名な曲は、やっぱりちょっと弾きづらいですけど(笑)。

曲目ごとにすごく音色が変わって素敵でした。リストのバラードが特に素敵で…リストはレパートリーなのですか?

リストはいままで避けてきたんですけど、最近は頑張って取り組んでいます。どちらかというと聴く方が好きで。バリバリバリ〜!あっぱれ!みたいな(笑)。

作曲家でいうと、プロコフィエフがやっぱり好きですね〜。コンチェルトの第3番をやりたいです…。

ちなみにちょっとお聞きしたいのですが、中谷さんは演奏している時って何を考えていらっしゃいますか?

そうですね…昨日演奏したバッハの《フランス組曲》なら、動画で当時どんな踊りをしていたのかを見てイメージを膨らませたりしています。ベートーヴェンの《告別》なら、作曲家が曲に込めた思いがあるので、それについての本を読んだりします。最近はインターネットでも色々調べられますしね。

少し時期を戻しまして…中学生時代の藝高受験についても教えてください。

中学の時は播本枝未子先生についていて、3年次には藝高(東京藝術大学附属高等学校)に行きたいなと思っていました。

課題曲も、バッハの平均律とリストのエチュードとシューマンのピアノソナタ第2番と、中学3年生にしては結構大変な曲でした。

藝高に行きたい気持ちはずっとあったのですが、全然練習していなくて…1ヶ月前になっても暗譜してなかったのでこれはやばいと思って。最後の1ヶ月は、もう死にものぐるいで練習しました。

試験科目は実技とソルフェージュに、楽典・初見・面接がありました。ソルフェージュは小学生からやっていてそれほど不得意ではなかったんですが、初見とかは結構大変でした。

藝高の実技試験では、後ろまで先生方10人くらいに囲まれているんです。当時は、なんだこの威圧感は!という感じでした。

何か特別な受験対策はしましたか?

していないんですよね…!

ソルフェージュは小学生から習っていて、あとは、先生がたまに試験曲を弾いてくれたりはしました。

でも、前々から取り組む人は、過去の試験曲から曲目を予想したり、対策をする人もいるみたいですね。

晴れて合格し、進学した藝高での生活はどうでしたか?

ピアノ科は13人しかいませんし、一学年40人でこぢんまりはしています。1年~3年の教室が並んでいて、他学年とも仲が良かったです。

皆さんバリバリ練習していたんですか?

どうでしょう、私は藝高時代よりもロシアに行ってからの方が練習していると思います。

中谷さんはロシアに滞在されて何年ですか?

6年になります。

芸高を卒業してそのまま留学しました。

現在は大学を卒業して修士課程には進学せずに、研究科というところに在籍しています。

ロシアの大学に留学するには、学部に入学する前に予備科というのが一年間あります。そこではピアノや音楽系の科目、語学等を勉強します。

私の場合、2012年にロシアに行って、そこから1年予備科に行って、大学に四年間通って、去年卒業したという感じです。

単身での生活、留学当初はいかがでしたか?

私は留学していきなり寮に住み始めたので…高校を出てすぐ家族と離れて、初めての一人暮らしで、大変でした。

寮は4人部屋で8畳くらいの部屋でした。二段ベッドが2つ、それにピアノと机が置いてあって、自分のスペースがなにもない状態でした。建物は12階建てで、お風呂は1階にしかないんです、しかも共同で。結構汚い(笑)。

色んな国の人と住みましたね、ロシア人もいましたけどインド人とか中国人台湾人…アジアの生徒は結構多かったです。

グネーシン音楽アカデミーでの学部時代の学びはいかがでしたか?

学部では美学や宗教の授業などもロシア語で受けないといけなくて大変でした。

数ある授業の中では、室内楽や伴奏法の授業が特に楽しかったですね。でも授業の合間に練習もしなくてはならないので、休む間はありませんでした。よくロシア人の友達に「さやかはいつも走ってるね!」と言われていました。

ピアニストのエフゲニー・キーシンも、中谷さんがご在籍のグネーシン出身ですよね?

キーシンは同じグネーシンでも、シュコーラの出身なんですよ。私はアカデミーの出身です。

シュコーラは6歳頃から高校卒業までの11年制の学校です。日本では専門学校は高校からですが、ロシアでは幼少期から音楽などの専門分野を学校で学ぶことができます。

ロシアは幼児教育が発達していて、小さい頃から音楽を学ぶ環境が整っています。だからピアニストが多く育つのでしょうか。

ロシアの子はみんな小さい頃からよく練習していて、学校での試験やコンサートに出演したりなど、ステージに乗る機会もすごく多いと思います。

若い音楽家のための国際コンクールなどもあり、上位入賞者はオーケストラと共演することができます。

日本で小さい頃にオケと共演することなんてよほど恵まれてないとありませんよね。世界と切磋琢磨する機会というのは、日本にはあまり無いかなと感じています。

中谷さんは、ロシアでもオーケストラと共演されていますね。

そうですね。これまで色々な都市でオーケストラと共演させていただきました。テレビ出演したこともありましたね。ちょっと恥ずかしいですが(笑)。

日本大使館での演奏会に呼んでいただくことがあって、そこに各都市の文化事業関係者がいらしていました。それをきっかけに、その方々が各地に呼んでくださるということも実際にありました。

ちなみに、留学先にグネーシンアカデミーを選ばれたのは何故ですか?

2010年にショパンコンクールの配信でトリフォノフの演奏を聴いたのがきっかけです。

凄いな、そういう風になりたいなと思って調べたら、トリフォノフがグネーシン音楽学校のシュコーラ出身でした。

そこで師事していたのはタチアナ・ゼリクマンという先生だと分かり、どんなレッスンをされるんだろうとすごく気になって、習ってみたいと思いました。

そのゼリクマン先生とはどのような出会いがあったのですか?

元々ロシアに留学するつもりは全然なかったのですが、高校2年生の時にチャイコフスキーコンクールがあって、それに行ってみたんです。

コンクールはトリフォノフが優勝して、そこに彼を教えていたゼリクマン先生も聴きにいらしていたんです。

その時にたどたどしい英語で話し掛けて、それをきっかけにレッスンしていただきました。幸運にも、先生はマスタークラスで日本にいらっしゃることもありました。

そうして、先生の元で学びたいなという気持ちが強くなったので、ロシアに留学しました。コンクールで先生に自分から話しかけるなんて、今考えたら、よくやったなあと思います。

話しかけるといえば、高校を卒業して単身ロシアに留学なさった中谷さんは、ロシア語はどのように学ばれたのですか?

日本でも少しやっていましたが、留学して1年目の予備科で一生懸命勉強しました。

印象的なのが、入学して最初にロシア語の授業で扱った文章が宇宙飛行士についての話で、いや分かるわけないじゃん!と。

でも先生がテキストを全部暗記するまで読みなさいと仰って、その文章を100回以上読んで覚えていました。そうしてフレーズでロシア語を頭に入れていきました。

英語でも授業を受けられる人は多くないのに、ロシア語でできるなんてすごいですね…!

そうでしょうか(笑)。

周りに日本人はいないので、困ったときでもロシア語しか喋れないし、日常生活を毎日ロシア語で送っていましたから、自然に覚えました。はじめは英語で受けていたピアノのレッスンも、2ヶ月くらいでロシア語を使って受けていました。ロシア人にもたくさん助けられましたね。失敗を恐れずに、チャレンジすることが大切です!

なるほど。でも、ロシアって一人で行くには少し不安もある国なイメージでした。

そう言いますよね、渡航にビザも必要ですし。

でもいざ行ってみると住みやすい街ですよ。

何より学生に優しいです。コンサートは学生証を見せると無料だし、ボリショイ劇場だって立ち見だと数百円から観られます。他にも、交通機関も1ヶ月約800円で乗り放題だったりします。

今もロシアでは寮にお住まいですか?練習はその寮でなさっているんですか?

はい。

部屋にピアノはありますが、ほかの人が気になって中々集中出来ないので、学校で練習しています。現地のヤマハやカワイの練習室にお世話になったりもします。

留学当初は朝5時半に起きて学校に練習しに行ったりしました。朝は特に寒くて、マイナス30度を記録したこともあって。

ふだんの練習はどのようになさっていますか?

練習の最初にはアルペジオのスケールなどをして、そのあとエチュードをやります。

ロシアの人と比べると、小さい頃エチュードなどのテクニックの練習を沢山しなかったので、自分の欠点はそういったテクニックの面にあるかなと思うので頑張っています。

ショパンのエチュードも最近弾いています。曲も綺麗でリサイタルなどにも向いていますし、25のエチュードはいつか全曲弾きたいと思っています。

なるほど。オリジナルの練習法などはありますか?

特に変わったことはしていないと思いますが、少しゆっくり目のテンポで念入りに練習します。

あとは左手だけ弾く練習もします。左手の暗譜って意外とできてなかったりするので。先生にも、左手だけの練習はしなさいと言われますよ。

そうなんですね!
中谷さんは、譜読みは早い方ですか?

遅くはないですが、周りのロシア人なんかは初見でパッと弾いてしまう人もいます。私はあまり初見は得意じゃないんです。初見の早さと演奏のうまさは同じではないですが、小さい頃から色んな曲を弾いてきているからこそどんな曲でも簡単に弾けてしまうのでしょうね。

他にも譜読みの方法として、リヒテルのように1ページ完成させては次に進む方式でやる人もいますよね。私も、バッハなどであればその方が早いような気もします。

バッハのように声部が複数ある楽曲を練習する時は、ソプラノとバス、ソプラノとテノールなど、声部を分けて練習するのも大切だと思います。

いわゆる「ロシアンピアニズム」というものについてはどんな印象ですか?

日本ではよく使われる言葉ですが、むこうでは「ロシアンピアニズム」という言葉を耳にすることはあまりありません。ただ、ロシア人の先生は、音程の感じ方、イントネーションのつけ方にはとても厳しいです。ピアノは鍵盤を押すと音が出てしまうので、オクターブも10度も簡単に弾けてしまいますが、弦楽器や歌の人は音程を感じなければなりませんよね。「歌うようにピアノで奏でる」ということをよくおっしゃっています。

それから、ロシアでは幼少期から複雑なアルペジオやスケールに取り組んでいて、学校ではそれらの試験もあるんですよ。

それがまた、凄まじいスピードで弾いたりしていて…。つまりテクニックの基本が幼少期から出来ているっていうことなのでしょうね。

なるほど幼少期から...中谷さんは幼少期のコンクール出場についてはどのようにお考えですか?

やっぱりある程度必要かと思います。

けれどコンクールの曲ばかりやっていると、エチュードや他のレパートリーが置き去りになってしまいますし…。海外のコンクールの良い所は、課題曲が偏っていないところですね。

あと、小さい頃からコンチェルトをやるというのは大切だと思います。向こうの子どもって、ハイドンやバッハのコンチェルトのレパートリーも持っているんです。

今までご自身が出場されたコンクールで、印象深いものはありますか?

ロシアでのコンクールは印象的です。

日本のコンクールはきっちりとしていますが、海外だと良くも悪くも適当でした。日本ではリハーサルの時間や練習時間は決められていますが、ロシアだと当日適当に弾いてくださいねといったように。

例えば、「舞台のピアノを弾いてみたいんだけど」と主催者にお願いしたら、もうホールが開場しているのに、「いいよ!」とやらせてもらえたりします(笑)

また、むこうのお客様はとても素直です。

あるコンクールで自分もすごく満足いく演奏が出来た時、演奏が終わると舞台裏に小さい子から大人までたくさんの方が来てくれました。「サインして!」「良かったよ!」と声を掛けてくれて。反対に、悪い演奏したらそのまま帰ってしまったりする人もいるようです。

多分、日本よりもっと音楽を身近に感じていて、コンクールにはどんな田舎でもどこからともなく人が来て、いつも満席なんですよね。

あとは、2017年に受けた若い音楽家のためのロマン派フェスティバルも印象深いです。

入賞者がモスクワ音楽院の大ホールでオーケストラと共演出来るということで、どうしても弾きたくて先生にお願いしました。レッスンが厳しくて大変でしたけど。

先程日本では優しい先生に師事していたと伺いましたが、ロシアの先生は厳しいのですか?

はい、すごく厳しいです。

厳しいし、熱心で、音楽を愛していらっしゃる先生です。

音楽のためなら時間と労力を惜しまなくて、本番前は週3~4日レッスンに行ったりしましたね。リハや本番は必ず聞きに来てくれます。

そのコンクールで第1位を受賞して、モスクワ音楽院でのコンサートのリハーサルをする時も来てくれました。でも先生はゲネプロでの演奏が気に入らなかったらしくて、もう私はあんたのせいでお腹痛い、本番聴きたくない、みたいに言っていました。本番の30分前に言わなくてもって思いましたが(笑)。

でも本番はちゃんと聴きに来てくださって、そして無事気に入ってくださったみたいで。本番後に舞台裏まで抱きしめに来てくださいました。

オーケストラと共演する機会を頂きますが、それには先生にも生徒を失敗させられない責任が伴っているのですよね。失敗したら次はないよ、と本番前にはよく言われます。

そこまで厳しいからこそ、トリフォノフやコブリンなど、有名なピアニストが育つのでしょうね。

中谷さんの今後の活動予定について教えてください。

ロシアにもう6年いるので、拠点を移すことも少しだけ考えています。どこの国へというよりは、先生次第なのですが。

色々な国を見てみたいし、色々な先生の感性も自分に取り込んでみたいと思っていて。勿論、今の環境から学ぶこともまだまだ沢山あります。

最後に、大学受験や留学を考えている人、練習を頑張っている人にアドバイスをお願いします。

そうですね…。

留学して気付いたのですが、もしチャンスがあるなら、若い音楽家のための国際コンクールやマスタークラスに参加して海外の音楽家と接する機会を作ることが大切だと思います。日本にいるとオーケストラとの共演の機会も中々ありませんし。今振り返ってみると、私も小さい頃から海外で同世代の音楽家と触れ合う機会があったら良かったなぁと思います。

それから、失敗を恐れずに、自分がやりたいと思ったことがあったら何でもチャレンジすることが大切かなと思います。

(編集後記)

ロシアに行ったら誰でもポジティブになりますよ!と笑う中谷さんですが、いつでも音楽を楽しみ、そして音楽に真摯に向き合って研鑽を続けていることが分かりました。

今後の活動にも益々目が離せません。是非皆さんも演奏を聴きに行ってみて下さいね。

*カリキュラムや入試に関する内容は、当時の内容となっております。具体的な試験内容など、公式の受験要項を必ずご確認いただきますよう、お願いいたします。
中谷 彩花(なかや さやか)

広島県出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校卒業後、ロシアグネーシン音楽アカデミーへ入学。ヒロシマ平和創造基金・中村音楽奨学生、ロシア政府給費生、2016年度文化庁新進芸術家海外研修員。2017年同アカデミーを優秀な成績で卒業し、現在研究科在籍。
これまでに、Evgeny Bushkov, Murad Annamamedov, 海老原光 他指揮のもと、ベラルーシ国立室内管弦楽団、ドゥブナ交響楽団、ヤロスラヴリ交響楽団、浜松交響楽団などと共演。
2015年CHANEL Pygmalion Days Artistとして銀座シャネルネクサスホールで定期的にリサイタルを開催した他、才能ある若い音楽家のための音楽祭(モスクワ)やラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン音楽祭、在ロシア日本大使公邸で演奏。ロシアにてRTViの「ロシア音楽教育システム」やTNVの「ズドラーストヴィチェ」などのテレビ番組に出演。
2006年 東京都豊島区教育委員会より表彰を受ける。2010年以降、ショパン国際ピアノコンクールin ASIA アジア大会銀賞、アジア国際ピアノコンクール第1位、長江杯国際音楽コンクール第1位、横浜国際音楽コンクール第1位受賞。2014年浜松国際ピアノアカデミーコンクール第3位受賞。2016年スカヴロンスキー国際コンクール第2位、メトネル国際コンクール第3位受賞。2017年若い音楽家のためのロマン派音楽フェスティバルにて第1位及びヤマハ音楽賞を受賞。
これまでにピアノを伴谷真知子、金子勝子、播本枝未子、青柳晋、故エレーナ・アシュケナージ、タチアナ・ゼリクマンに師事。

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