下田眞理子さん
2018-09-28
今回は、東京芸術大学でピアノを専攻された後、大学院ではソルフェージュ科へと進路を変更された異色の経歴を持つ下田さんに、受験のことや進路変更のことなど、さまざまなお話を伺いました。
ピアノをはじめたきっかけを教えてください。
音楽好きの母が姉にピアノを勉強させたかったそうで、姉がもともとピアノを習っていたんです。それで、妹もまあ習わせてみるか、というついでのような感じで習い始めました。4歳からピアノを習い始め、小学2年生からは、桐朋学園大学で運営されている「子供のための音楽教室」に通い始めました。
最初のうちはピアノを好んでは弾いていませんでした。レッスンがあるから練習する、弾かないと怒られるから練習する、というやらされている感はありました。小学6年生か、中学に入る頃までは嫌だったかな。途中母親に何度も「嫌だったらやめていいよ。」と言われましたが、そう言われると逆に意固地になり、習い続けました(笑)。
その後、東京芸術大学の附属高校に進学されていますが、きっかけなどはありましたか?
桐朋の音楽教室に通っていると、周りが桐朋女子高校の音楽科に進学する人ばかりなんです。音楽科に進学するのが普通、みたいな空気でした。そのような環境の中で、私も中学生の時に高校受験を考え始めました。桐朋の音楽科を受験する事が自然な流れでしたが、経済的な面等いろいろ考慮し、私は東京芸大付属高を受ける選択をしました。
普通科に行くことはあまり考えていませんでした。芸高がだめでも、何かしら音楽科や音楽コースのある公立の高校を受けていたと思います。
芸高受験では、何か苦労されたことはありますか?
芸高を受験すると決めたものの、芸大とつながりのある人が周りに誰もいない状態でしたので、先生探しが大変でした。藁にもすがる思いで、母がインターネットで芸大を卒業されたピアノの先生を探し、その先生のホームページになんとか辿り着いたそうです。サイトを通じて母が先生に連絡をしてくれ、中学3年生の春頃からレッスンに通えることになりました。その後、その先生のご紹介で、芸大で教授を務められている先生にも指導していただけることになったのですが、とにかくバタバタでした。母には感謝しています。
専攻であるピアノ以外の勉強はどうでしたか?
ソルフェージュ(注1)などは桐朋の音楽学校で基本的な部分はやっていましたが、中学3年生頃からは、芸高入試に備えたソルフェージュを、芸大出身の作曲科の先生に個別で習い始めました。
私が何より苦労したのは、音楽科目よりも普通科目です。芸高受験には国語と数学と英語のテストがありますが、数学が全然ダメで...中学校の数学の先生に、職員室の隅で個別に指導していただきました(笑)。
試験は緊張されましたか?
どうだったかなあ。当日はもう「やってやる、やっちゃおう!」という感じでした。それまでの準備はとにかく大変でしたが。受験前は、食べる、寝る、お風呂に入る、学校に行っている間、などを除いてはずっとピアノを弾いていました。
芸高に入ってみてどうでしたか?
今考えると、音楽を学ぶ上ではとても良い、恵まれている環境だったなと思います。高校にいながら大学教授陣のレッスンを毎週受けられるので。すごい人は当時からものすごく活躍していました。国際コンクールに出ている人や、テレビに出演されている人もいました。1学年に40人ばかり、全校生徒でも120〜130人しかいない小さな世界ですが、当時は本当に刺激的でした。
その後の芸大受験はどうでしたか?
受かりたいという思いで必死に対策しました。実技試験だけでなく、センター試験も私にとって強敵でした。センター試験に備えて私は通信教育のZ会を受講し、模試を受けたりしていました。周りには学習塾に通っている人もいましたね。芸高は音楽の授業が増える分、普通科目の授業数がどうしても少なくなってしまうため、センター試験の勉強が学校の授業だけでは足りなかったんです。「センターで落ちている人もいるから気を抜いてはいけないよ!」「○割は取らないといけない!」と先生からも言われていました。
大変でしたが、励ましあえる友達がいたおかげで心強かったです。芸大を受験するにあたって、同じ場所を目指す仲間がいるというのは、芸高生であるメリットのひとつだと思います。
そして芸大に合格されましたが、大学生活はどうでしたか?
これは芸大に限った話ではありませんが、大学では高校のようなまとまった「クラス」というものが無くなり、それぞれが必要な授業を履修していたので、個々の行動になってしまいます。それがすごく寂しかったです。それまで1学年40人という結束力の強い芸高生活を3年間過ごしていたので(笑)。大学2年生までは必修の授業があるため、同じピアノ科の人と顔を合わせることが何度かありますが、3年生以降は必修の授業も少なくなるので、ほとんど大学では合わなくなる同級生もいました。あの人いま何してるの?みたいな感じで、周りがどういう生活をしているのか全然わかりませんでした。それぞれ演奏活動やコンクールなどで忙しいので、サークル活動などはしていない人がほとんどですしね。ヴァイオリンなどの楽器なら、伴奏者の方やオーケストラなどで人との交流がありますが、ピアノは単独で演奏する事が多いので、そういった意味でピアノ科は孤独だと思います。
2年生の時には、それまで師事していた先生が退官され、先生が変わりました。新しい先生は、今までの先生とは全然タイプの違う先生でした。音楽の捉え方、ピアノという楽器の奏法、ありとあらゆる面で新鮮で奥深い指導をしてくださいました。
非常に充実していた学生生活でしたが、もちろん途中でスランプのような時期もありましたよ。芸大を卒業した後どうするんだろう?自分は将来何をするんだろう?演奏家で食べていけるとは思えないし...と悶々としていましたね。
4年生の春に手を故障した事がきっかけで、留年、そして大学院でのソルフェージュ専攻を決めました。すべて自分で決めましたが、指示していた先生が御助言くださったのがきっかけです。
予想外の提案ですね。
最初はビックリしましたね。でも当時の私は、大学院のピアノ科に行っても学部時代と同じ生活で、先が見えずに再び悶々とするのではないか、大学院に行く意味があるのか・・とまで感じていたので、ソルフェージュ科に行って違う方面から音楽を見られたら面白いかも、と思いました。ソルフェージュ科に行っても毎週ピアノのレッスンは受けられますしね。でも受けると決めてから、9月の大学院入学試験までは怒涛の毎日でした。四月の末頃に決心したので半年もありませんでした。入試では和声(注2)の試験などもあるので、作曲の先生のもとへ通いだしたのですが、この「和声」がとにかく大変で・・・!!作曲の基礎的なことを勉強するものなのですが、それまでおざなりにしていたぶん、いちから学びなおし入試レヴェルまで習得するには短すぎる期間で、それはもう必死でした。でも和声法がわかり、音楽に対して新たな視点を持つ事ができて、今となっては学びなおして本当に良かったと思います。
その努力が実り、無事ソルフェージュ科に合格された下田さんですが、ソルフェージュ科での生活はどうでしたか?
所属が、音楽文化学専攻の中のソルフェージュ研究、という扱いになるので、楽理科(注3)とかなり似ています。入った当初から「あなたは何を研究するんですか?」と論文指導が始まり、ひたすら論文を書かされます。ピアノを弾く時間が取れないくらい大変なので、その環境から抜け出したいと思い、1年間ハンガリーへ留学しました。
もちろん一番の理由は、自分が研究したかった内容と、ハンガリーの学校で教えている内容が重なっていたからです。
ハンガリーでのお話を聞かせてください。
私が行ったハンガリーの学校は、音楽の先生になりたい人が通う、留学生専用の学校です。「コダーイ・メソッド」を身につけさせたい人たちが、いろいろな国から集まります。授業や友人との会話は英語を使用し、論文も英語で書きました。ハンガリー語はあまりわからなかったので、現地のおばちゃんを怒らせた事もあります(笑)。首都のブダペストには日本人が結構いるそうですが、私がいたのは首都からバスで1時間半くらいの田舎町だったので、アジア人自体が少なかったです。
学校後は、みんなで夜に集まってパーティーをしたり...パーティーといっても、派手なものじゃなくて、夜ご飯を一緒に食べるくらいですよ。日本語を使わない、と自分の中で決めていたので、日本人がいない環境というのはよかったです。英語で物事を考えるようにしていました。とても楽しく刺激的な生活でした。
コダーイ・メソッドについて、詳しく教えてください。
コダーイ・メソッドは、大まかに言うと、相対音感(注4)で音楽を勉強しよう、という考え方です。ハンガリーの作曲家コダーイが、自国の音楽教育の革新をはかろうとして生み出した教育アイディアです。ハンガリーでは主流の教育なのですが、日本ではあまり浸透していないかなと思います。日本では絶対音感(注5)での教育が主流ですからね。
一般的に絶対音感は才能のひとつだと思われています。確かに、ある程度の年齢までに訓練しないと身につかないものです。聞いた音がドレミでわかるのはとても便利ですが、絶対音感の取得を最優先にしてしまうと音楽的ではなくなる恐れがあると思っています。
では、日本でコダーイ・メソッドを教えることが、今後の下田さんの目標でしょうか?
コダーイ・メソッドを教えるというよりは、メソッドの良いところを取り入れながらいろいろな音楽活動をおこなう事ができたらなと思います。どんな教育法にもメリットデメリットがあると思うので、それらを踏まえて、誰にでも音楽を楽しめる環境を提供するのが目標です。コダーイが大事にしていたのは、すべての人が歌を清潔に歌えるようにしましょう、音楽を楽しめるようにしましょうということだったのですが、その考えはとても素晴らしいと思います。だからコダーイ・メソッドでは移動ド(注6)を推奨していますし、有名なハンドサインなどもそうですね。手の動きで音の高さ、リズム、音楽の表情などを示して移動ド唱を効率よく導く方法で、どんな高さの音からでも歌えるように、といったものです。自分が学んだメソッドを無駄にする事のないようにしたいです。
将来は教育的に音楽に携わりたいので、いろいろと情報収集中です。
ピアノ科からソルフェージュ科へ専攻を変更されたことは、今はどう思いますか?
もともと自分は、人前に出て「私の演奏を聴いて!」というタイプではないので、舞台での華やかなコンサートピアニストにはなれないと思っていました。教育的な方が向いているんじゃないかなと思ったので、ソルフェージュを専攻して良かったと思います。
手を故障していた時期はとても辛かったですが、それがきっかけで、自分の進路を考え直し、新たな道を見つける事ができたので、悪くない経験だなと思っています。
音大受験を考えている人達にむけて、メッセージをお願いします。
音大に行くと、大変なこともたくさんあります。でも音楽で苦楽を共にする仲間に出会える事はとても大きな事です。将来、音楽で食べていくのは非常に難しい世の中ですが、音大に行くと、普通の大学に行った人達とは違う何かを得られると思います。
音大を受験するかしないかを悩んでいる人は、自分が本当に何をしたいのか、よく考えてください。音大に行かなかったからといって音楽家になれないわけでは決してありません。音楽は一生ものですのでね!!
進路を悩むというのはとても良い事ですよ。
注釈
注1「ソルフェージュ」
西洋音楽の学習において、楽譜を読むことを中心とした基礎訓練のこと。
注2「和声」
西洋音楽の音楽理論の用語で、和音の進行、声部の導き方(声部連結)および配置の組み合わせを指す概念のこと。
注3「楽理科」
東京芸術大学音楽学部にある専攻のひとつ。音楽研究の学である音楽学(西洋音楽史、日本・東洋音楽史、音楽民族学、音楽美学など)を研究・教授し、将来、音楽の学問的研究およびそれに関連した仕事にたずさわる人材の養成を目的としている。
注4「相対音感」
基準となる音との相対的な音程によって音の高さを識別する能力のこと。
注5「絶対音感」
ある音を単独に聴いたときに、その音の高さを記憶に基づいて絶対的に認識する能力のこと。
注6「移動ド」
「ドレミファソラシド」を音名ではなく階名として考える、または歌う方法。長調の主音をド、短調の主音をラと歌い、調号によって「ド」の位置が変わる。一方で、どの調でも同じ位置を「ド」とする「固定ド」という方法もある。
*カリキュラムや入試に関する内容は、当時の内容となっております。具体的な試験内容など、公式の受験要項を必ずご確認いただきますよう、お願いいたします。
下田 眞理子(しもだ まりこ)
神奈川県横浜市出身。4歳よりピアノを始める。桐朋学園子供のための音楽教室、東京藝術大学音楽学部付属音楽高等学校を経て東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を卒業。2017年、ハンガリーのリスト音楽院にて修士号(コダーイ音楽教育学)取得。現在、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程(ソルフェージュ科)に在籍。 International Festival of Russian Music in Vancouver 2011に参加、Special Prize受賞。第5回エレーナ・リヒテル国際ピアノコンクール大学・一般部門第2位、第14回“万里の長城杯”国際音楽コンクールピアノ部門一般の部A 第2位。これまでにピアノをLydia Hung、雄倉愛子、原信子、原佳大、多美智子、江口玲、Anikó Novákの各氏に、フォルテピアノを小倉貴久子氏、チェンバロを廣澤麻美氏に、和声学を糀場富美子氏に師事。