杉浦奎介さん
2018-05-24
現在、注目の若手ミュージカル俳優として活躍されている杉浦さんに、芸大受験の経緯や、在学中のサークル活動についてのことなど、さまざまなお話をうかがいました。
東京芸術大学を受験されたきっかけを教えてください。
意識したのは中学2、3年生の時です。それまでは舞台を見ることが好きだったので、最初は役者を目指していたのですが、ミュージカル俳優の井上芳雄さんの舞台を見て、世の中にはこういう人がいるんだ、と思いました。それで何か武器があったほうがいいなと思いまして...ちょうど歌が得意だったので、歌を武器にしようと思い、「音大に行こう、音大なら東京芸術大学だ」と思い、声楽を習い始めました。
そして何よりの決定打は、高校3年生の時に、東京芸術大学の学祭である「藝祭」を見たことです。「La Voce」という、声楽科2年生が運営している模擬店が特に楽しそうでした。模擬店のそばに特設ステージがあって、当時はステージが空いていたら誰でも自由に歌っていたんです。みんなキラキラ輝いて見えました。
芸大受験への道のりはどんなものでしたか?
実家が音楽教室を経営していて、母がそこで先生をしていたので、幼少期からピアノなど、音楽自体には触れていました。ソルフェージュ(注1)の先生などもすべて母が手配をしてくれ、基本的には一から先生を探す、ということはしてこなかったんです。でも一度目の受験では落ちてしまったので、次の年の浪人期間中は、池袋にある「東京ミューズ・アカデミー」という音楽予備校に通いました。日本声楽家協会(注2)とも迷いましたが、そこでは声楽科の生徒しかいないので、いろいろな科の人が在籍するミューズを選びました。受験に落ちて、自分に足りないものはなんだろうと思ったときに、「歌以外の音楽の幅」だと思ったからです。今までずっと自宅の音楽教室でしか勉強してこなかったので、初めて外で勉強をするというのは最初は不安でしたが、通ってみたら本当に楽しかったです。それまでは私立の普通科高校に通っていたので、音楽の友達というのがいなくて、ミューズで初めて、同じ志を持った友人に出会えました。この浪人していた1年間は、今までの人生の中でも本当に楽しかった期間の一つです。それまで歌しか勉強していなかった自分にとって、作曲科の人の音楽に対する知識の量や、今まで出会うことのなかった管楽器科の人との交流が、今の自分を形成していると思います。
そして次の年に見事、芸大に合格された杉浦さんですが、どんな学生生活を過ごされましたか?
ミュージカルエクスプレス、通称「ミューエク」という芸大のミュージカルサークルでの活動に力を入れました。実は芸祭を見学した際、ミューエクの公演も見たんです。でもその時は、憧れというよりは、「もっと良くなるのに」なんて生意気にも思っていました(笑)。高校時代に、照明の環境などが整っていない劣悪な状況の中で、工夫をこらして演劇をしていたのが理由です。だから入学したら、ミューエクを変えたいって思いました。でも最初の1年はミューエクにほとんど関わらなかったです。高校の演劇仲間の多くが日本芸術大学の演劇学科に行ったので、その人たちと学生劇団を作って、4回の自主公演などをしていました。その後、ミューエクの代表が代替わりをしたのですが、新代表の先輩方なら、自分の意見をガンガン言える空気を感じて、ミューエクの活動に本腰を入れるようになりました。
ミューエクは主に、4月の新入生歓迎公演、9月の芸祭公演、3月の定期公演、という3つの公演にむけて稽古や準備をするのですが、特に3月の定期公演は、外部のホールを借りて行う公演のため、最も力を入れました。日芸に進学し、舞台作りのことをきちんと勉強しているセミプロのような友人達と接してきたので、自分の持っているネットワークを駆使してスタッフを集め、舞台を作るうえでの順序をきちんと踏むように心がけました。
どうせやるなら、ただ楽しくやる、だけじゃ嫌だったんです。有料の公演で、芸大というネームバリューもありますし、クラシックをメインで勉強する芸大の中では、ミューエクは快く思われないこともあるので、ミュージカルも意外といいんだよ、という部分も見せたかった。使えるものは全部使おうと思い、演奏は器楽科に、音響関係は音環(注3)に、舞台美術は美術科に、照明などの芸大に無い要素は日芸の友人にお願いしました。それから「ミュージカルは芝居」という思いが強かったので、その部分をどうしても強化したかった。ミューエク内に役のイメージに合う人がいなければ、日芸の中から連れてきたり...とにかく魅せられるものを作りたかった。そのうえで、みんなが楽しいと思えるものを、と思って取り組んできました。
その杉浦さんの働きのおかげで、いまやミューエクは人気にサークルになりましたね。
今年は新入生が30人(注4)入ったたみたいです(笑)。やることはやったと思っています。でも3年周期だとも思っているので、今は次の世代にバトンタッチをしました。だから今の子達は不安だと思います。いろいろと自分が手を伸ばしすぎてしまったという自覚はあるので。今も後輩の子達に質問されることはありますが、基本的には自分たちで決めるように、好きにやってみな、と伝えています。
今後、芸大からミュージカルに進む人が増えそうですね。
既にその傾向はあって、最近は毎年、劇団四季に何人か入るようになりました。松原凜子さんや木暮真一郎さんなど、いま注目されている若手ミュージカル俳優の方々も、ミューエクの出身です。僕は、ミューエクにいた時は制作する側、どちらかといえば裏方側にまわることが多かったのですが、もともとは舞台に立ちたい人間なので、芸大の学部を卒業すると同時に、舞台に立つ側としてスタートを切りました。
杉浦さんは現在、芸大の大学院を休学し、さまざまなミュージカルの舞台に出演されています。復学してからは論文の提出が待っていますが、どんな内容で提出されますか?
ミュージカルに絡めた論文を書くかもしれません。芸大にはこういうやつもいたんだよ、ということが書ければいいですね。
これから音大受験を考えている皆様に、メッセージをお願いします。
自信のない受験生が多いなと思います。きっといろいろ考えてしまうんですよね。他の人のレベルとか、もっとうまくできるはずなのに、とか。でも自信は絶対に持ったほうがいいと思います。人前で何かを表現する時に説得力を持たせるためには、ある種のハッタリも必要だと思うんです。自信が無いのが見えてしまうと、そこに聴衆との壁ができてしまう。常に自分との戦いだと思います。正解も無いし、誰かと比べるのが全てでもない。自分にしかできないものを見つけていくことが大事かな。
それから、音楽の幅は大事です。なんでも糧になります。ビックリするくらいなんでもいいです。これはミューエク時代の話ですが、演劇的説明だけだと伝わらない時に、音楽や映画、テレビなどの引き出しから引っ張ってきてニュアンスを伝えると、いきなり通じたりすることがあったんです。最初は驚かれるんですけどね。なんで今そんな話するの?って(笑)。いろいろな方向性の見方を勉強できる環境が大切だと思います。
確かに、杉浦さんは常に自信に満ち溢れている印象を受けます。
自分に負けたらと終わりだと感じています。自分の理想、ビジョン、夢に沿って生きていく過程で、折れたりすることだけは嫌です。多少遅くなってでも、進んで行きたい。そういう信念を持っているほうが、この人とまた仕事をしたいとも思えますし。上手い下手だけじゃないと思います。
注釈
注1「ソルフェージュ」
西洋音楽の学習において、楽譜を読むことを中心とした基礎訓練のこと。
注2「日本声楽家協会」
NPO法人。音楽大学受験生を対象とした「声楽科受験コース」がある
注3「音環」
音楽環境創造科の略。芸大音楽学部にある専攻の一つ。21世紀の新たな音楽芸術と、それにふさわしい音楽環境・文化環境の発展と創造に資する人材育成を目指している。
注4「新入生が30人」
ミューエクの新入生はこれまで、10人に満たない年も多かった。
〜杉浦 奎介(すぎうら けいすけ)プロフィール〜
東京都出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。卒業時にアカンサス賞及び同声会賞受賞。現在同大学大学院音楽研究科声楽専攻在学中。主な出演作に、ミュージカル『レ・ミゼラブル』フイイ役、『アップル・ツリー』(演出 城田優)、『アイランド 〜かつてこの島で〜 』『スター誕生』『岡幸二郎 ベスト・オブ・ミュージカル』、TV『サマステミュージカルコレクション』(EX)、『日本名曲アルバム』(BS-TBS)など。その他、日本の歌、昭和歌謡を中心にコンサートを行う、アンサンブル・コノハのメンバーとして活動。