
和仁将平さん
2019-01-21
今回は作編曲で活躍されている和仁将平さんにインタビューをして参りました!
和仁さんは岐阜県のご出身で、国立音楽大学を卒業し、現在はジャズの編曲を中心に、ビッグバンドやゲーム音楽コンサートの編曲など、各方面で活躍されています。
音大を作曲科で卒業してジャズを書ける作編曲家ってそんなにいないんです。とっても貴重な人材です。
そんな和仁さんに、受験体験や音大での学び、作曲観や今後についても伺いました。
和仁さんが初めて楽器に触れたのはいつですか?
4歳の時にエレクトーンをはじめました。
ヤマハ音楽教室の一般的なエレクトーン教室ですね。
エレクトーンの他に楽器の経験はありますか?
小学校時代では音楽の授業で使うようなリコーダーや鍵盤ハーモニカ程度ですね。中学校に入ってからは吹奏楽部でアルトサックスを担当してました。
中学校では全校生徒が120人くらいしかいなかったので吹奏楽部といっても同学年に5人しかいませんでした。
そんなに少ないんですか!出身はどちらなんですか?
岐阜県の高山市です。山の中にある学校だったので、それこそレベルの高い学校とは違って楽器の音が出せればいいみたいな感じでした。吹奏楽部の部員は20人くらいでした。
大編成は組めないですけど小編成で演奏出来る程度です。
山の中に学校があると仰っていましたが、どんな先生が教えてくれてたんですか?
確か1年生の時は顧問の先生が全く音楽をやったことない人で、外部から市の吹奏楽団の奏者を呼んで指導してもらっていました。
2年生になってからは音大ではないですけど、音楽科を卒業した方が指導してくれていて、3年になってからは名古屋の芸大の先生がきてくれたので充実していました。
先生が違うと指導する内容も変わるので中々難しいですよね。
そうですね。
そしたら、音楽は小さい時から好きだったんですね。
はい。
中学の時にアルトサックスを始めたって話したんですけど、同時期にジャズピアノも始めたんです。
ジャズピアノを中学1年生ではじめたんですか!?すごいですね。。
近くにちょうどジャズピアノを個人宅で教えている先生がいらっしゃって、はじめはリズム感を鍛える為に習い始めました。
最初はしょうがなく行かされてるって感じだったんですけど、先生がコードや理論を教えてくれたので、わかるようになっていってどんどんのめりこんでいきました。
中学生にコードや理論を教えるってすごいですね。そこから作曲家を目指そうって思ったんですか?
いや、その時点では特に作曲家は目指していなかったですね。
コードとか理論に関しては先生が手作りのプリントとかを作ってくれていたので、すごくありがたかったです。
今思うとその先生のおかげで今があると思っています。
手作りのプリントですか!?すごいなあ。私も習いたい。。。
いつから作曲科を目指そうと思ったんですか?
実は中学の頃から作曲はしていたんです。でも決意したのは高校3年生の春でした。
結構遅いですね。現役で合格出来てすごいですね。
高校1年生の時にジャズピアノだけではだめだと思って、クラシックピアノを習っていたんです。そのときにクラシックの和声も習い始めていたので、和声の勉強自体はできていました。
ただ和声のレッスンははじめ2分音符だけでしたし(島岡和声の本)全然面白くなかったですね。
名古屋まで週1先生の教室まで通っていましたね。片道2時間半くらいでした。ただ興味があまり持てなくて1年で辞めてしまいました。
なので作曲科を受験しようとかは思っていなくて一般の大学を受験しようと準備を進めていたのですが、皆が進路を決意していく段階でもう一度自分自身で考えたときに音楽以外をずっと仕事にしていくということが考えられなくて、結局音大に入ろうと決めたのは高校3年生の8月頃でした。
決意した時には和声の勉強って終わっていたんですか?
それが、和声の本は三巻まであるんですけど、一巻終わったくらいでした…!
ただ、やればやるほど楽しくなっていって毎回ノート1冊分課題を持っていったりしました。
先生がレッスンの時間内に見切れなかった分は預かっていただいて次のレッスンの時に渡してもらっていました。
ノート1冊はさすがにすごい。。。
名古屋の先生だけではなくて次第に東京にいる先生にもレッスンをみてもらえるようになりました。
ただ高山市から東京に向かうとどれだけ早く出ても到着が12時を過ぎてしまって、高山市に帰る最終のバスも17時くらいなんで、バス乗り場から先生の自宅までの移動時間を抜くと2~3時間くらいしか先生にレッスンしてもらえないんです。
なので、前泊したり長野の松本市からだと朝に着くバスが出てるので早朝から親に車で松本市まで2時間ほどかけて送ってもらったりということもありました。親の助けが無ければ今の自分は無いなあと思っています。
とても沁みるエピソードですね...
ご両親の援助が無いとなかなか音大に入るまでに挫折しちゃいますよね。
そうですね。ありがたいです。
音楽を学びたい人がきちんと学べる環境は必ずしも身の回りにある訳ではないんですね。。
少し話題を変えまして...最近聞いている曲や好きな曲はありますか?
和音に敏感に反応してしまうところがあるので最近の複雑なジャズとかもすごくいいのですが、1950年時代辺りのビッグバンドにストリングスなどが入った豪華な編成のフランクシナトラとかが歌っているビッグバンドが好きですね。
最近だと電子音楽に興味があって藝大卒業の網守将平さんの作品とかよく聞きます。あとは多重録音のジェイコブ・コリアーさんの作品とか聞きますね。なんでも出来ちゃうんです。とても刺激を受けています。
そういえば、ビッグバンドの曲を作曲してましたよね。
そうですね。ビッグバンドはコンテストがあるんですけど、ほとんどが一般大学でどこもレベルがすごく高いんです。僕は4年生の時明治大学のビッグバンドでピアノで演奏させてもらったんですけど、それこそ僕本当にジャズ好きなのか?って考えてしまうくらいにジャズに詳しく一生懸命な人が沢山いて刺激になりました。ジャズピアノの先生が音大出よりも一般大学の方が音楽してるって言ってたんですけど実際に演奏していた人たちはパワフルでそういう部分も沢山ありました。
それこそジャズ科に入れば良かったなって思いますよね、、、笑
おお、ジャズ科はもちろん魅力的ですけど、作曲科でよかったことってもちろんありますよね?
損したことなら沢山あるんですけどw
ジャズ科に入って作曲のゼミをとればよかったなあって今でも思っています。
作曲科に入ってジャズのゼミはとれないのにジャズ科の人は作曲のゼミを取れるので、専門的なジャズの先生に習って作曲を学びたかったなあと思います。
確かに、ちょっとずるいですね。笑
でも作曲家に頼む方がなんか安心感がある気がします。
作曲をするときにどこからインスピレーションを得るんですか?
本や絵から題材を持ってきて作曲をする方ももちろんいらっしゃるとは思うんですけど、僕はジャズから入ったので、ジャズってパフォーマンスをいかにするかという側面もありまして。
なので友達や尊敬しているミュージシャンのライブとかに行って、こういうコード進行かっこいいなって思ったり、そこで刺激を受けて思いついたことを家に持ち帰って自分なりにバリエーションを持たせたり、あとは寝てるときに思いつくんですよね。
寝てるときですか!?寝てる時まで作曲してるんですね。
メロディーやコードが浮かんだりしますね。
人と話してる時とかも常に同時並行でコードのことを考えています。
そういえば、現時点で作曲をしたいって思えるジャンルが二つあって、一つはジャズなんですけど、もう一つがBGMといいますかヒーリングミュージックといいますかそういうものに興味がありまして。
アパートとか団地とかそういうところをみているときにインスピレーションが湧いてきて、無機質な場所を見たときに写真を撮ったりするんです。
中々言葉で表現出来ないんですけど実際の音楽を聴いてもらったらすぐわかると思います。
無機質な音楽といえばミニマルミュージックとかが有名ですが、そんな感じになるんですか?
ミニマルミュージックももちろん作ることもあるんですが、人間の生き死にみたいなものをテーマに曲を書いたりするんです。
死生観といいますか、そういう部分を建造物や景色に感じた時に音楽が生まれたりします。
そういう内容の作品って心にぐっときますよね。
将来作曲家になりたいっていう人が和仁さんを尋ねてきたら、どういうところから教えたいですか?
少し話がそれてしまうかもしれないのですが、知識を覚えたての時って知識を披露しようと難しく作りがちなんです。僕が完全にそうでした。でも音楽は人に聴いてもらってはじめて成立するものなので最近はわかりやすいものを作るように心がけてるんですね。
複雑になってしまっても一旦削ぎ落としてわかりやすく伝えていくことが大事だと思います。
理論だけ先行してもなかなかうまくいかないので、まずは楽しく作曲出来る範囲で簡単なところからはじめて欲しいなと思います。
今後どういう活動をしていきたいですか?
電子音楽にすごく興味があるのでやってみたいなあって思っています。
和仁さんにとってズバリ音楽とは!
音楽も創作というジャンルの一つだと思っていてそれこそ、絵を描いたり踊ったりっていうものもありますが、自分はたまたま音楽が出来るっていうだけで、結局は自己表現がしたいんです。
自分を表現するツールが音楽ですね。なんでもいいんです。でも僕が出来るのが音楽なんです。
(編集後記)
ジャズと言ったら和仁さん!なんでもこなせるんでしょ~?と思っていたのですが、数えきれないほどの努力とご両親の援助の賜物でした。
表現方法の一つとしての音楽と和仁さんは仰っていたものの、実際に和仁さんの心から産まれてくる音楽はとても色彩豊かで、でも音楽を壊しにくるんです。それでまた少しアンニュイで。
どこか人の心に寄り添うようなそんな懐かしささえ覚えます。
そんな和仁さんの曲がこれからどんどん世に出てくることが楽しみでしょうがないです。
~和仁将平(わに しょうへい)~
岐阜県立斐太高等学校卒業
国立音楽大学演奏創作学科作曲専修卒業。
4歳からエレクトーン、13歳からジャズピアノとサクソフォンを始める。
都内を中心にジャズピアニストとしての活動を精力的に行う他、山野ビッグバンドコンテストやJApan Game Music Orchestra(JAGMO)を始めとする様々な団体や演奏会にビッグバンドの楽曲やジャズアレンジを提供している。
2017年の山野ビッグバンドコンテストに於いて、明治大学Big Sounds Society Orchestraのピアニストとして自作自演を成功させバンドとして特別賞を受賞する。
エレクトーンを笹田静恵、ジャズ理論、ジャズピアノを中村紳一朗、ピアノを田尻靖子、井上郷子、和声を寺沢幸江、故山口博史、市川景之、石井佑輔、作曲を渡辺俊哉の各氏に師事。